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ボブ シモンズ mini simmons の生みの親

ボブ シモンズ mini simmons の生みの親

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ミニシモンズはボブシモンズが作ったボードをミニにしたからミニシモンズです。でも、、、誰もがボブシモンズって誰????と言った感じでは無いでしょうか?ボブシモンズは最初に流体力学をサーフボードに応用した人で、現在で言う、コンケイブ、スクープデッキ、スプーン、キックテールまた、最初ではないが、ファイバーグラス、スタイロフォームをサーフボード界に広めた人です。サーフボード界の技術革新に貢献した最も偉大な人といっても過言ではありません。 そんな彼の人生について、サーフラインが良いレポートをしていたので紹介します。 英語だったので、翻訳しました。(英語が読める方は下にリンクがあるのでそちらからご覧下さい。)

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以下、サーフラインより

ボブ・シモンズはフォームとファイバーグラス、そしてフィンという画期的な技術をサーフボードに取り入れたことで有名です。これは実際とは異なり、本当はトム・ブレークがその名誉に値します。また、彼のフォームはベニアでサンドイッチされた後にグラスで覆っていました。

ボブ・シモンズがサーフボードの技術に最も貢献した分野は、サーフボードに流体力学(ハイドロダイナミック)の理論を適応したことです。彼が1950年に作成したバルサウッドのサーフボードは、ハイドロダイナミックの理論を適応した最高の仕事と言われています。

ロサンゼルスで生まれたロバート・ウィルソン・シモンズの当時左足首には腫瘍があり、医師は足首を切断する必要があると彼に伝えました。母親は食事療法のエキスパートと相談し、治療をすることで腫瘍が見えなくなり、これはその後のシモンズの人生を変えることとなりました。 食事療法では、肉類ではなく、果物、フルーツジュース、ビタミン、オートミールなどを食べるため、彼の体力は少しずつ衰えていきました。それを補うために、彼は自転車に乗り体力をつける努力をしていました。そんな時、車と正面衝突した彼は、頭蓋骨、足、そして左肘を骨折してしまいました。左肘の回復が遅かったので、彼の入院仲間が治療としてサーフィンを勧めたのが、彼がサーフィンをするきっかけとなりました。

彼は1939年からトム・ブレークのパドルボードでサーフィンを始めました。また、卓球などもして体を鍛え、回復の遅い左肘を補強していきました。その後、ロサンゼルスにあるカル・テックという学校でエンジニアリングを学び、オールAの成績で卒業しました。ダグラス航空で数学者として働き、第二次世界大戦が始まった際、専門のエンジニアとして彼は独立しました。

左肘に障害があったため、シモンズは第二次世界大戦中カリフォルニアでサーフィンできる数少ないサーファーの一人でした。殆どの若い男性が戦争に従事している際に、波のいい時は数日の休みを取って極上の波に乗り続けました。波の悪い時は仕事に精を出し、サーフィンライフを満喫しました。75ポンドの板を車に乗せる時は母に手伝ってもらい、ビーチではその板を引きずって入水していました。

その頃、シモンズは孤独で風変わりな天才でした。日本に原爆が落とされた日には、「原子爆弾は世界を破滅に追い込む!!!」と一日中マリブで波待ちしながら叫んでいたそうです。(1945/8/6は最高の波がマリブに来ていたそうです。) 終戦までに、彼はハイドロダイナミックの理論をサーフボードに適応することに成功していました。かれは船舶設計技師として活躍していたリンジー・ロードの研究成果(ハイドロダイナミック)を発見し、それをサーフボードのデザインに適応していました。シェイプしたボードは異常に早かったので、試し乗りをしたサーファー達を怖がらせました。

また、マリブの偉大なライフガードであったチャップマンにそのボードを渡し、シモンズとチャップマンは他のどのサーファーよりも早く波を駆け抜けるサーファーとして恐れられました。

彼はサーフボードのノーズを補強するためにファイバーグラスを使いました。また、パドリングを補強するために流体力学をボードに適応し、その他にも、コンケーブ、スクープ、キックノーズといった現在サーフィン業界で使用されている重要な技術を肺かつしていきました。

また、シモンズはスタイロフォームをテストしました。第二次世界大戦中に航空機のレーダーで使用するスタイロフォームです。コンクリートの型を作り、その中でフォームを発砲するシステムです。1948年までに彼はファイバーグラスを全てのボードに使用しました。一枚のボードが大体9ポンドの重さです。1949年の夏には100枚程のスタイロフォームを使用したサーフボードを販売しております。それは、カリフォルニアのサーファーが1000人にも満たない時代のことです。

完全ではありませんが、シモンズの負傷した腕は非常に強靭でした。かれは、優れた卓球選手で、かつ、偉大なサーファーでした。また、彼は非常に攻撃的な性格で、周りの人は彼を変人としてみていました。37年型のフォードで海岸を探索し、缶詰、チーズ、果実、ジュースなどとともに最高の波を求めてトリップし続けました。彼は波と天気の関係を研究し、良い波を見つける理論すら開発しました 1953年にはハワイのオアフ島にサーフトリップへ行きました。島中を自転車で探索し、サンセットビーチに最高の波がくると言う地震の予想を確認しました。マカハ、サンセットでサーフィンをし、その結果を自分のシェイプに反映しました。また、パイプラインにも挑戦しました。

http://www.surfline.com/surfing-a-to-z/bob-simmons-biography-and-photos_907/

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