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BONZER キャンベルブラザーズの歴史2

BONZER キャンベルブラザーズの歴史2

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フランスのアディクションサーフボードはキャンベルブラザーズとも非常に仲がよく、キャンベルブラザーズのヨーロッパ販売代理店をしています。また、マルコムは頻繁に、シェイパーのレナウドとともにフランスでシェイプをします。 やはりボンザーといえば、生みの親であるキャンベル兄弟のことを知る必要があります。 キャンベル兄弟に関して非常に面白い記事(John Wythe)があったので紹介します。 (あまりに長い記事なので、数回に分けて紹介します。) 前回送った記事の続きです。ここでは3フィンの開発者でありながらも世に認められなかったキャンベルブラザーズの苦悩が伺えます。

レナウドの息子のパッチンガムにはさまれるマルコム

レナウドの息子のパッチンガムにはさまれるマルコム

1972年にはアメリカの雑誌に当時としては斬新的な彼らのボンザー(3フィン、ダブルコンケーブ)が発表されたため、キャンベルブラザーズは世界的な注目を集めました。当時はシングルフィン、また、新しくツインフィンが出てきた時代なので、彼らのボンザーは変なボードとして周りから見られていました。

キャンベルブラザーズはビングサーフボードに行き、ボンザーのデザインを販売してロイヤリティーをとるビジネスを始めました。しかし、ビングの生産者が近道をしてボンザーのデザインを変えまじめた時に問題が生じました。 「コンケーブとフィンは2つがそろって機能します。チャンネルを問うして水流が早く流れるのです。コスト削減の為、ビングはコンケーブの部分でビングは手抜きをしたのです。それは彼らがボンザーを重要視していなかったことと考えられます。我々は僕らのデザインが滅茶滅茶になるのを、抗議することが出来ず、見ているだけでした。我々は彼らがボンザーという名前の板を販売し続けることに同意しました。しかし、キャンベルブラザーズの名前はこれ以上使ってほしくなかったし、彼らからは一銭もお金をもらいたくなかったのです。」 それでも、やはり問題は発生しました。手抜き作業が板のスピードとパフォーマンス性能を落としたので、メディアから批判が出てきました。一つの雑誌はボンザーのフィンを「自転車の補助輪と呼びました。」。サーファー誌は、「ボンザーは大々的にキャンペーンされて知れ渡りましたが、ボンザーのデザインが何を意味するのかはおざなりにされました。」。

キャンベルブラザーズは静かにサーフィンビジネスの世界から一線を引き、ホームタウンに帰りました。 デザインをコピーするのは簡単です。でも、何か別の理由のため、誰も私達のボンザーを作ることは出来ませんでした。

我々は5年にわたってボンザーを研究し、テストしてきました。 変更されたデザインにも関わらず、ボンザーは70年代に素晴らしい評判を得るボードとなりました。

1973年にはオーストラリアのイワン/カーリンがボンザーにとってしみオフプロで優勝しました。ボンザーに関する写真や記事が大々的に取り上げられました。サーファーマガジンは「行きたいところにボードをコントロールでき、また、ホローな波でもうまく乗れるこのデザインは後十年は続くだろう」と記事に発表しました。しかし後になってサーファーマガジンは「70年代の後半にはボンザーが流行から遅れていた。」と発表しました。 その理由としては、当時マーク・リチャードが通常のボードより6インチも短いツインフィンに乗り始め、数々の試合に勝ったので、多くの人がツインフィンに乗るようになったのです。 「突然、サーフボードデザインの革命が起きて、ボンザーはその存在価値を失い始めました。

しかし、私達はボンザーのコンセプトが正しいと考えていたので、ボンザーの開発を続けました。3フィンが最も優れたフィンシステムで、何れは3フィンが主流になると考えていました。主流になるのはツインフィンではないと考えていたのです。」  キャンベルは正しかったのですが、誰もその事実を認めませんでした。そのかわりに、後になって別のチャンピオンサーファーが出現し、サーフィン界を大きく変えました。彼自身の発明として3フィンを最初に開発したとして有名になり、数々の試合に勝つことにより更に有名になりました。 「サイモン・アンダーソンは3フィンを発明したメシアのように扱われました。僕らは10年にわたって3フィンの開発に取りかかってきたので、科学的な根拠に基づいて3フィンの優れている点を証明できました。サイモンはそれが出来ませんでした。しかし彼はプロのサーファーで、雑誌にもよく登場するサーファーです。商業的なサーフィン業界はかれを3フィンの発明者として大々的に取り上げました。」

1990年に彼と彼の兄弟が、サイモンが3フィンの開発者として認知されたことについてどう思うかサーファーマガジンのライターに聞かれこう答えました。「複雑な心境です。3フィンが最も優れたボードとして認知されたことは僕らの研究が間違っていなかった意味で良い結果です。しかし、ボンザーが忘れられ、誰もボンザーの素晴らしさを再検証しなかったことには失望しました。」 ダンカンは雑誌が正しく3フィンに歴史について取り上げないことに頭に来ていました。

パート3に続く。

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