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BONZER キャンベルブラザーズの歴史3

BONZER キャンベルブラザーズの歴史3

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フランスのアディクションサーフボードはキャンベルブラザーズとも非常に仲がよく、キャンベルブラザーズのヨーロッパ販売代理店をしています。また、マルコムは頻繁に、シェイパーのレナウドとともにフランスでシェイプをします。 やはりボンザーといえば、生みの親であるキャンベル兄弟のことを知る必要があります。 キャンベル兄弟に関して非常に面白い記事(John Wythe)があったので紹介します。 (あまりに長い記事なので、数回に分けて紹介します。) 前回送った記事の続きです。ここでは、ボンザーの技術を共有しながらも、その功績を他のシェイパーにとられていたキャンベルの苦悩が伺えます。

パッチンガムにはさまれレナウドの息子に笑われるマルコム

パッチンガムにはさまれレナウドの息子に笑われるマルコム

その後も、ダンカンとマルコムは雑誌と戦い続けました。

ナットヤングがサーフィンの歴史を取りまとめた本を出版した際に、キャンベルブラザーズをボンザーの開発者として取り上げませんでした。このことを知った兄弟は法的措置をもほのめかしました。勿論、彼らは勝ちました。本を再度印刷した際は、キャンベルブラザーズがボンザーの開発者として紹介されました。

しかし、その後も雑誌編集者の誤解には悩まされました。1989年に雑誌サーフィンは「3フィンの開発者であるサイモンアンダーソンはその謙虚な姿勢にも関わらず、パフォーマンスサーフィンの世界を永遠に変えた。」と記事に記載しましたが、1年後の1990年には「サイモンアンダーソンの10年前にキャンベルブラザーズは機能的な3フィンを既に開発していた。」と記事に記載しました。

マルコムはカリフォルニアのベンチュラでシェイプを続け、ダンカンはオアフ島に移住し、カフェ(Haleiwa)を開きました。彼らはボンザーがベストのボードと信じ続け、ボードを他のライダーに乗せたりし、サーフィン業界の技術革新に貢献し続けました。彼らはトライフィンでコンケーブの入ったボンザーを開発しました。

1982年にキャンベルブラザーズは新しい実験を始めました。2つのフィンをボードに追加したのです。「我々は5フィンがサーフィン業界に革命を起こすと思う程、このフィンセットアップは機能しました。そのため、1973年と同じように、ボンザーの設計図を発表しました。1991年位ラスティーと彼のスタッフにボードのテンプレートを渡し、ボンザーをどのように作るか教えました。ラスティーはこのアイディアを気に入り、最終的にラスティーのロゴが入ったキャンベルブラザーズのボードが出来上がりました。」 大部分のシェイパーが自分だけ有名になることを願っていた時に、キャンベルブラザーズは競争ではなく、協力を選択しました。彼らの技術がサーフィン業界の進化に貢献すれば良いという思いで、技術を共有し続けました。 マルコムは「技術を共有することによって、技術的な停滞から次のステップへ進むことが出来る。しかしながら各シェイパーが自分の成功のみに固執すると、技術の進化が遅くなります。」雑誌サーファー 1990 9月

パート4に続く。

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