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BONZER キャンベルブラザーズの歴史4

BONZER キャンベルブラザーズの歴史4

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フランスのアディクションサーフボードはキャンベルブラザーズとも非常に仲がよく、キャンベルブラザーズのヨーロッパ販売代理店をしています。また、マルコムは頻繁に、シェイパーのレナウドとともにフランスでシェイプをします。 やはりボンザーといえば、生みの親であるキャンベル兄弟のことを知る必要があります。 キャンベル兄弟に関して非常に面白い記事(John Wythe)があったので紹介します。 (あまりに長い記事なので、数回に分けて紹介します。) 前回送った記事の続きです。ここでは、他社と共同して1つのデザインを共有することの難しさが伺えます。

アディクションのスタッフとフランスでサッカー観戦するマルコム

アディクションのスタッフとフランスでサッカー観戦するマルコム

 

1997年にダンカンは驚きの記事を読みました。そこには5フィンをラスティーがどのように考案、開発したかが記載されております。「フィッシングトリップに行った際に、釣れたマグロのヒレを見て思いついたんだ。インスピレーションを得た私はショップに戻り5フィンとダブルコンケーブをデザインしたんだ。」とラスティーは語っていました。 「サーフィン業界ではよくあることだけど、広告を沢山出せば、記事の内容もスポンサーの思い通りに書いてもらうことが可能です。」とダンカンは言います。

1999年の 5/24から28日にかけて5フィンデザインチャレンジが開催されました。ラスティーのウェブサイトには「トラッセルズにてラスティーの5フィンは観客を大いに驚かせます。ラスティーは5フィンに乗り試合で勝利したシェイパーおよびサーファーに2万ドルの賞金を与えます。ラスティーは最初に5フィンを1996年に開発しました。このデザインはサーフショップで大評判となり、最も人気のあるモデルです。5フィンはサイモンアンダーソンが開発したスラスター(3フィン)に匹敵するデザインの革新です。」・・・ラスティーサーフボードウェブサイト 1999 1月

ダンカンとマルコムがトラッセルで試合があることを聞いたとき、彼らは誤解を正す機会があると思いました。試合で彼らの5フィンが使われるので、メディアに誤解を正す機会があると思いました。キャンベルブラザーズが試合に出向くと、コンテスト前に、ラスティー側は5フィンの考案について誤った情報を流していたことを認め、訂正しました。

ラスティー側はデザインについてはキャンベルブラザーズが考案したことを雑誌に伝えましたが、「キャンベルの板はダウンザラインでは調子がいいが、ターンをするにはあまりよくない。」と言っていました。ダンカンはこれに強く反対し「僕たちの板に乗っている誰もが最高のターンを出来ることを知っている。」と語ります。

試合でダンマロイはキャンベルの板に乗って、最も高いスコアを試合で出しました。彼はボンザーには乗ったことがありませんでした。実を言うとその板はテイラーノックスのためにシェイプされたのですが、試合前にテイラーが足にけがをしたためダンが乗ったのです。ブラッド・ガーラックはキャンベルとドックのロゴがついたボードで試合に参加しました。また、ドノバン、ジョエルチューダーといったトップサーファー達も試合でボンザーを使いました。

最初に作ったボンザー5フィンは16年程たっており、それはハワイのショップに飾ってありました。ドノバンはハワイでその板に乗り、とても気に入っていたので、最初のヒートで使用しました。勿論ヒートを勝ち上がりました。  その次のヒートでドノバンはコーデルの板に乗りましたが、マロイとガーラックに破れました。マロイはセミファイナルで破れ5位でした。結局優勝はドックのライダーであるジェイ・ラーソンが勝ちました。

式典ではラスティー側がキャンベルブラザーズを5フィンの発明者として感謝を述べました。彼らはステージにマルコムを招待し、ファスティーはこの試合を講演してくれたことに対してマルコムにお礼を言いました。

「財政的には勝利ではないが、僕たちのデザインは勝利を収めました。ホローな波、グラッシーな波、ポイントブレイク意外でもボンザーが十分に機能し、ターンもスムーズであることを、試合を通して証明することが出来ました。」とダンカンは語ります。

パート5に続く。

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